日本国解説
●「日本国」の山名と由来
「日本国」という山名の由来については、幾つかの説があり定かではありません。
一説には、その昔、阿部比羅夫(あべのひらふ)の大和朝廷軍が東征の折、
苦戦を重ねながらここまで進行し、この付近の頑強な蝦夷(えみし)勢力の平定に
一応成功したことから、だれ言うともなく感慨をこめて、ここまでが「日本国」と
(日本国と蝦夷地との境)したことが「日本国の起源ではないかともいわれています。
またの説には飛鳥時代のころ、朝廷に追われた蜂子皇子(はちこのおうじ)が
「上隠し小屋」に(現在の日本国)隠れ住んだと伝えられていることや、
江戸時代、大代集落の太郎次という狩りの名人が堀切峠の頂上でみごとな鷹を
生け捕り、これを庄内藩の酒井候に献上したところ、この鷹を見た当時の将軍が
「捕れた山は今後、日本国と名付けよ」とおおせられたなど・・・。
数々の歴史とロマンを秘めた山が、標高555mの「日本国」です。
●位 置
「日本国」は、新潟県の最北に位置する村上市伊呉野と山形県鶴岡市温海大字
鼠ヶ関字原海を起点とし、朝日連峰に連なる県境の稜線上約6.4kmの地点に位置し、
すり鉢を伏せたような山容から別名「石鉢山」とも呼ばれます。
山頂には二等三角点の標識が設置されており、海からも目立つ山で、
漁師は山合せの目印とし越後・出羽境の目印となっている山でもあります。
●登山道と周辺のみどころ
<小俣渓谷>
県道に沿って流れる小俣川、雪どけ水に映える新緑と秋の紅葉は、
渓谷と調和して心を奪われる美しさを見せてくれます。
特に、一ノ瀬橋付近からの眺めがすばらしい!
<ラジウム清水>
「日本国」から湧き出る清水。胃腸の悪い人や子どものオタフク風邪、
目の病気によく効くと言われ、昔から多くの人に愛飲されています。
この地帯の地質は、「日本国片麻状花崗閃緑岩(にほんごくへんまじょう
かこうせんりょくがん)」と呼ばれ、松がよく育ちます。
<蛇逃峠/じやのげとうげ>
小俣集落には「蛇逃が見えてきたら雪が降らない。」という諺が残っています。
しかし、蛇についての言い伝えはありません。
<鷹待場/たかまちば>
「日本国」と周辺の山からは多くの鷹が獲れた記録が残っています。
鷹の羽根は軍事用(弓矢)として使用されました。
明和7年(1770)の記録に「堀切峠の西、出羽、越後の分水嶺に鷹待場の
跡御座候」とありますが、鷹は警戒心が強いことから待揚が作られました。
<蔵王堂/ざおうどう>
元和元年(1615)、大阪夏の陣に小俣集落の佐藤源左衛門が徳川方として
徴集された折、吉野に詣で蔵王堂より身体を護し、これを背負って
村に帰り祭ったと古書にあります。
<小俣集落の街並み>
かつて日本の主要道であった出羽街道の宿場街として、出羽三山への
参拝者など多くの人びとが訪れました。
明治維新では戊辰戦争の戦場となり、集落のほとんどが焼き払われました。
その跡に再建された家々が現在も残っており、この貴重な小俣集落の街並みを
作っています。
心のふるさとを感じさせてくれる趣があります。
村上市 越後さんぽく笹川流れ観光協会 日本国を愛する会
山北町山の会 製作パンフレットより抜粋
2008.9.29 許諾済
コメント
新潟県と山形県の県境に位置する「日本国」はそのまま「にほんこく」と読む山で、
昨今はこの名前にひかれて多くの登山者が訪れているらしいが
管理人もその一人に仲間入りか・・・(笑)
小雨がぱらつく怪し気な空模様で車中待機中に日本国登山ツアーバスが
入ってくるのを見て、この山の人気を実感する |